小田急線が複々線になった知られざる経緯

複々線化事業
東京8号線当初のルート(文書から作成)

こんにちはパンタさんです。
小田急線の複々線化というと踏切廃止や混雑緩和など、路線の環境を良くする工事として行われたものを想像しますが、調べていくとそれは表面的な話でもう少し深い動機や経緯があったことが分かりました。

この記事は下記の動画の内容を抜粋して紹介しています。
よろしければこちらもご覧ください。

代々木上原ー喜多見

小田急複々線(前面展望)

小田急線の複々線化が決まったのは今から半世紀以上前の1964年。

高度経済成長期、逼迫する通勤需要に対応する地下鉄網が検討され、その中の東京8号線

東京8号線当初のルート(文書から作成)

松戸や日暮里、原宿を通り喜多見で小田急線に乗り入れる路線として計画。

しかし、原宿から喜多見までは小田急線が抱える需要エリアと重複していて利用客の流出が考えられました。

東京8号線南新宿接続案(文書から作成)

重複エリアを少しでも減らすため新宿御苑のそばを通る南新宿接続案や

東京8号線参宮橋接続案(文書から作成)

明治神宮のそばを通る参宮橋接続案などを検討。

代々木上原に停車する千代田線

紆余曲折あった接続案は代々木上原に決まり、東京8号線は改称を重ね千代田線として開業。代々木上原から東北沢の区間が初めて複々線となりました。

喜多見までは小田急線の線路を増やす案が都市計画として1964年に決まり、これが半世紀に渡る小田急線の複々線化事業の始まりになりました。

喜多見ー和泉多摩川

狛江市(wikipedia)

急速に増加する沿線人口に対し踏切渋滞は街を分断する状態に。
狛江市は線路の立体化に向け動きます。

狛江市は線路の立体化事業に国の補助が受けられるよう省庁に連日要請し、住民説明会では一部から罵声を受けるほどの反対意見を浴びましたが、沿線権利者に対しては戸別訪問も実施しました。

中央線高架化工事(wikipedia)

狛江市がそこまでして線路の立体化を進めたのは、差し迫る中央線の工事を優先されると小田急線の方に補助が受けられない可能性があったからです。

狛江市の活躍と、小田急線の複々線は新百合ヶ丘までが望ましいとする国の方針変更のもと、喜多見から和泉多摩川までの複々線化が決まりました。

参考サイト:狛江市 悲願の小田急線立体化事業

和泉多摩川ー向ヶ丘遊園

和泉多摩川2号踏切(YouTube)

東北沢から和泉多摩川までの複々線化は東京都が行う連続立体交差事業と共に行われることになりましたが、小田急線は上記の複々線区間の効果を高めるため和泉多摩川から向ヶ丘遊園までの複々線化も決めます。

この工事では和泉多摩川2号踏切の廃止が決まりましたが、南武線を跨ぐ登戸駅は既に高架駅になっていて踏切はなく、税金の補助が受けられる連続立体交差事業の対象外になりました。

暫定3線区間(向ヶ丘遊園ー登戸)

そこで小田急電鉄は単独で改良工事を行うことにします。
複々線化の用地を取得するため、川崎市が行う登戸土地区画整理事業に小田急電鉄も参画しましたが、事業の進捗状況から自社用地を最大限活用して上り線を増やす暫定3線での整備となりました。

向ヶ丘遊園駅の引き上げ線

この工事で向ヶ丘遊園駅の引き上げ線を活用した列車の増発、上り線での複々線と同様の運用が可能になりました。

まとめると

代々木上原ー喜多見
・東京8号線の計画
喜多見ー和泉多摩川
・狛江市の活躍
和泉多摩川ー向ヶ丘遊園
・複々線区間の効果を高めるため

という経緯で複々線化や改良工事を行なったことになります。

電車に乗るとどの区間も同じに見えますが歴史を見ると大きな違いがあって面白いです。

この区間については動画内でも解説しています。
よければご覧ください!

線路が足りないのに完成した小田急複々線化事業を観察

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